少し前になるのですが、愛猫が息を引き取りました。
普通の猫なら助かるような病気だったのですが、体が小さく体力が足りず、耐えられなかったようです。残念ですし、悲しいですし、今にも押し入れの中からひょっこり出てくるような気がしてなりません。
私がクソガキの頃からずっと一緒に居た猫で、自分で言うのもおかしいですが、私に本当に良く懐いていたんです。それはもう本当に可愛いものでした。寿命を考えてもまだまだ生きておかしくなかったのですが。この悲しみは筆舌に尽くしがたいものがあります。
いつかお別れが来るとは思っていましたが、いくらなんでも早すぎるというか。(遅かったとて悲しかったと思いますが)
猫が息を引き取ってから数日の間は、眠ることができませんでした。目を閉じると猫の姿が浮かんできて、涙が溢れてしまうのです。現在はこれほどの状態は脱していますが、悲しいことに変わりはありません。
そして、猫のいない家とは、なんと静かで寂しいものでしょうか。
1つよかったのは、生前にしてやれることは全てしてあげたということと、写真を大量に撮っておくことができたということです。これらのことをしていなければ、悲しみのみならず取り返しのつかない後悔に襲われていたことでしょう。
私は日頃から宗教を信じていませんし、そんな人がこういう時だけ天国や来世などのことを願うのも違うと思います。しかし、この時ばかりは宗教を信じておけばよかったと思いました。宗教ってのは生きている人の心に折り合いをつけるためにあるんでしょうね。
とにかく、私にできるのは生前の感謝を書き記すことだけです。もっとも、こんなところで書いてもしょうがないとは思うのですが、これをもって私なりの追悼とします。
さて、このブログでは、辛気臭い話はこの記事で終わりにします。次記事以降は、普段と同じふざけた記事を書きます。もちろん、文字には書かなくても、この悲しみが癒えることは当分ないでしょうが。