2025年9月7日、インテックス大阪で開催された同人誌即売会「こみっくトレジャー」に参加してきました。ついでに、せっかく関西に行くならと、周辺の日程で休みを取って関西旅行をしてきました。
9月4日 前泊
台風接近中でしたが、退勤してすぐ車に乗り込んで関西方面へ出発。

幸いにして雨もそこまで強くなく、日付も変わらぬうちに滋賀県の多賀サービスエリア内の宿泊施設・レストイン多賀に到着しました。

台風情報を警戒しつつ、翌日に備えて早めに就寝しました。
9月5日 京都
この日は朝から京都へ移動します。
滋賀から京都にかけて、前日時点では強めの雨の予報でしたが、朝起きて天気予報を確認すると、幸いにして降雨1mm程度まで下方修正されていました。ということで、難なく京滋バイパスで京都へ。

長岡京駅の駐車場に車を置いて、鉄道で京都駅へ移動。京都駅でオタクと合流し、共に京都鉄道博物館へ行きました。

ここに来るのは8年ぶりです。なお、同行オタクは今回が初めての訪問だった模様。
ちなみに、京都鉄道博物館には駐車場がありませんが、長岡京駅の駐車場に車を停めて電車で京都鉄道博物館に行くと少し駐車場代を安くしてもらえるという制度があります。(※2025年9月現在。こういう制度ってコロコロ変わるので、詳しくはお調べください)

どうでもいいですが、500系の前照灯がLEDに換装されていました。なんだかなあという感じ。

引込線にはnullが展示されていました。

レストランからの眺め。豊橋付近の大雨の影響で、新幹線がずっと止まっていました。乗客可哀想。

博物館外ですが、近くには京都市電が展示されていました。前来た時こんなの居ましたっけ?全く気付かなかったです。
ここで、関西在住のフォロワーからこの日に西武40000系の甲種があることを教えていただきました。時間的にも無理なく撮ることができそうでしたので、急遽長岡京駅に戻って東海道線の撮影をすることに。何しろ急な話だったもので、構図も光線もあったもんじゃないですが……。

何はともあれ記録程度にはなって良かったです。なんか変な柱刺さってますけど許してください。
ちなみに同業者はいませんでした。変な柱刺さるからですかね。
それにしても、私が池袋線に縁がなさすぎるせいで、ここで初めて40000系の8連を撮りました。まさか初撮影がこんな形になるとは。


さすがは大動脈、昼間っからバンバン貨物列車が通過します。

225系。貫通扉の窓の形が四角形じゃないことに初めて気付きました。なんで?
あとはまあなんか来る列車を適当に。知識は全くないですが、関西のJRもかっこいいですね。見ての通りかもしれませんが、雨が降ったり陽が差したりと、非常に不安定な天候でした。やっぱり台風が来ているんだなあという感じ。旅程に差し支えるレベルの影響はなかったのが救いです。本当に助かりました。
一通り撮り終えて、オタクと別れました。ちなみに、このオタクは翌々日のこみトレで一緒に参加するメンバーですので、またすぐ会うことになることになります。
もう特にやることもないので、宿泊地まで車を走らせます。

今回の宿泊地は和歌山県橋本市のルートイン橋本です。翌日は車を使わないので、この駐車場に置きっぱなしで暫しのお休みです。
9月5日 高野山
橋本に泊まったのは高野山に行きたかったからです。ということで、おはようございます。この日は高野山に行きます。
前にも高野山に行こうと思っていた時があるのですが、その時は大雨警報が出ていて行けなかったので、今回が初高野山です。
ということで、朝から橋本駅へ。

橋本の駅前には楳図かずおの像がありました。なんか調べたら高野町出身らしいです。知らなかった。
ホームに上がると、側線にはさっそく「天空」が居ました。今日はこれに乗って高野山へ向かいます。

いつの間にかこの「天空」が南海電鉄に残る最後の2200系になってしまいました。そしてこの「天空」についても後継車両への置き換えが決まっており、引退へのカウントダウンの真っ最中。おそらくこれが最初で最後の乗車になるでしょう。
ここで、難波方面からやってきたオタクたちと合流。ホーム上の引換所で指定席券を引き換えて、いざ乗車。
車内では、引退を記念した特別な乗車記念証が用意されていました。

そして、展望デッキにも行ってきました。ここがこの車両の一番の特徴と言ってもいいかもしれませんが、ドア部分が改造されていて、柵取付けの上で常時開放されています。

大胆な開口部から楽しむ山岳区間はなかなかの迫力でした。トンネルなど車両限界ギリギリまで迫ってくるので、絶対に手を出してはいけませんよ!
なお、ドアとしての機能も普通に生きているので、雨の日などは閉めることもできるそうです。
そんなこんなで、ものすごいカーブの高野線山岳区間を走り抜け、40分ほどで極楽橋駅に到着。あっという間でした。
ここからはケーブルカーに乗り換えます。勾配が凄いです。調べてみると、ケーブルカーの中で全国3位の勾配らしいです。

頂上の高野山駅に着いてからはバスに乗り換え、いわゆる高野山と呼ばれているエリアまで移動しました。バスがひたすら山道を登りまくっていると、急に視界が開けてきて街並みが現れました。高野山ならではの車窓で面白いです。
一歩高野山の地に降り立ってまず感じたことは、涼しいということです。本当に涼しくて快適でした。暑いと思っていたのでそれなりの暑さ対策をしてきたのですが、必要ありませんでした。
さて、それでは高野山巡りをスタートします。

まずやってきたのは奥の院。弘法大師が永遠に瞑想しているとされているお寺です。
自分の家は代々真言宗らしいので、自分にとってここは本当の意味で聖地と言えるでしょう。
中は厳かな雰囲気で、撮影はもちろんスマホの使用まで禁止されているほどでした。
参道沿いには有名人や大企業などのお墓がたくさん並んでおりました。
仏教では、釈迦の入滅から56億7千万年後に弥勒菩薩が娑婆世界に下ってきて衆生を救済するのだという信仰がありますが、真言宗ではその場所が高野山であるとされているらしく、その時に中心に居ようということでお墓がたくさんあるらしいです。
また、企業のお墓がたくさんあると書きましたが、企業がお墓を建てて功労者を供養する文化は世界的にも珍しいみたいです。
個人的に印象に残った企業のお墓は、新明和工業のロケット型墓標と、グリコのお墓にグリコのお菓子が山ほど備えられていたのと、どこかの殺虫剤の会社が建てていたシロアリのお墓あたりですかね。各企業がそれぞれに趣向を凝らしたお墓を建てており、さながら墓石大喜利状態になっていました。
また、我々が参拝した時には、参道の複数箇所で石材屋が作業をしていました。お墓の数は今もなお増えているということなのでしょう。トラックやらクレーンやらが多数乗り入れていたので、荘厳な雰囲気が台無しとの見方もあるかもしれませんが、個人的にはただの観光地ではなく現役の施設なのだということが感じられるようで、却ってよかったです。
ちなみに、燈籠堂は改装中で、外装すら見ることができませんでした。ちょっと残念。
続いて金剛峯寺へ移動。

こちらは内部を見学することが可能で、屏風絵や昔の生活様式が知れる施設が残っており、結構面白かったです。
余談ですが、屏風絵の撮影が禁止されていたのはもちろん、模写まで禁止されているのには驚きました。誰か模写したやつが居たんですかね。
続いて、壇上伽藍へ移動。
ここが一番高野山を象徴するような景色ですよね。特に朱色の根本大塔が有名ですが、こちらは鉄筋コンクリートによる再建らしいです。びっくりですよね。
それにしても思ったよりデカくて圧倒されました。幅もあるから写真だと伝わりにくいんですが、シンプルにかなりデカいです。

こちらは西塔。個人的にはこちらの西塔の方が迫力があって好きでした。これは現地に行かないとわからないと思うんですけど、少し奥まったところで木々に囲まれて荘厳に鎮座していて、威圧感のようなものがあるんですよね。根本大塔よりは小さいですが、こちらもかなり大きいです。広角が足りなくて全体像が写っていないのは許してください。
ちなみに、こちらも再建ではありますが、再建されたのが1834年で、普通に木造建築です。

個人的に高野山で一番楽しみにしていたのがこちらの六角経蔵。経蔵というだけあって中にはお経が収められています。しかし特徴的なのは建物の下の方についている輪状の枠。この枠にツノのような変な構造物があるのがお分かりいただけると思いますが、こちらを持って回すと枠が回転するようになっていて、これを1周回すと1回お経を読んだことになるというものです。
なんというか、寛容というか、「それでいいの!?」感が良いですよね。「ブラタモリ」でこれを知って以来、ずっと回してみたかったんです。ついに念願叶って回すことができました。これで私も極楽浄土に行けること間違いなしでしょう。
このほか、豆腐食ったり精進料理食ったりお土産買ったりして、高野山駅に戻りました。

高野山1200周年記念マスコットキャラクター「こうやくん」。高野山ではこのパネルがいたるところに立っていました。

高野山駅にはケーブルカー関連の展示がありました。ケーブルカーの待ち時間で見ていたんですが、一番興味深かったのはこちら。古いケーブルカーを搬出する際に、高野山の僧侶が出てきて魂抜きのような儀式をしています。土地柄を反映していて面白いです。

名残惜しいですがケーブルカーで下山します。
極楽橋駅で帰りの特急「こうや」を待つ間、周辺を多少散策しました。

こちらが駅名の由来にもなっている「極楽橋」です。まあなんというか普通の橋です。
「こうや」が来たので帰ります。実は初めて乗りました。
難波までほとんど爆睡で、あっという間に難波に着いてしまいました。難波で同行者とメシ食いました。
難波には、高野線で運用中の8000系と、南海カラーになった5000系が停まっていました。どちらも初めて見るんですが、違和感がすごいです。
疲れたので、橋本までの帰りは特急「りんかん」に課金することに。

濃厚で楽しい1日でした。翌朝も早いので、備えて早く寝ます。
9月7日 こみトレ
前日は仏教の聖地を巡っていたのに、その翌日には煩悩の塊みたいな場所に行きます。まあうちのサークルは鉄道系の本しか出していないんですけどね。
サークルメンバーが「セラが見たい」と言うので、途中で合流してからインテックスに向かうことになりました。

こみトレは問題なく終了しました。その後はすぐに自宅に向けて出発し、21時台には到着。

今回は1134km走りました。30年前の車であるにもかかわらず、走行に致命的な故障などは一切なく、今回も快調に走ってくれました。









