皆さんご存知の通り、本日2025年3月15日のダイヤ改正より、中央線快速の全列車でグリーン車のサービスが開始されます。そんな華々しいデビューの裏で、ひっそりと消えていく列車があります。特急「おうめ」と「はちおうじ」です。

「おうめ」「はちおうじ」の歴史は、1991年に運行を開始した「おはようライナー青梅」「おはようライナー高尾」「ホームライナー青梅」「ホームライナー高尾」に端を発します。これらのライナーの都心側ターミナルは新宿駅で、中央線特急「あずさ」「かいじ」の間合いを有効活用する形で運転が始まったものです。私はこの頃まだ生まれていませんから推測でしかないのですが、当時は今以上に通勤ラッシュも酷かったでしょうし、これらの列車は長距離通勤の旅客を中心に好評をもって受け入れられたものと推測されます。
2001年には都心側の終点が東京駅まで延長され、「青梅ライナー」「中央ライナー」に名を改めます。子供の頃の私は、夜などにたまに見かけるE257系を見てはしゃいだものです。まあ子供なので金がなくて、乗ったことはないんですけどね。乗りたかったなあ。
やがて、中央線系統の料金体制見直しの流れから、2019年にはライナー列車が特急に格上げとなり、特急「おうめ」「はちおうじ」が誕生しました。青梅線史上初めてとなる定期特急の誕生です。それと同時に、最寄駅が「特急停車駅」になった瞬間でした。(余談ですが「ホリデー快速」は通過するのに「特急」は停まるというアンバランスな駅になりました)



私が本格的に特急「おうめ」を利用するようになったのは、大学を卒業し就職した2022年のこと。入社してから最初のうちは新宿で勤務することになり、東京の通勤電車の異常なまでの混雑に疲弊していたのですが、すぐに「おうめ」の存在に思い至りました。おそらく自分が鉄道マニアでなかったとしてもそうしたでしょう。結局、新宿にいる間は、殆ど毎日「おうめ」で帰宅することになりました。

人混みが苦手な自分にとって、指定席列車の存在は本当に有難かったことを覚えています。
新宿から河辺、営業キロ50km以下。JREポイント460ポイントで乗れる距離でした。
結局、新宿はすぐに離れることになったので、実際のところ毎日のように「おうめ」を使っていた期間は数か月ほどでした。ですが、その数か月間で乗った「おうめ」の回数は、それまでの人生で乗った特急列車の回数の合計を上回ったと思います。

その後、何度か職場の場所を移った結果、最終的に勤務形態が基本的にテレワークになり、そもそも鉄道通勤から離れてしまったのですが、その後も出社した時には積極的に利用していました。

さて、就職から3年が経過し、私の中ですっかり「おうめ」が現実的な選択肢として定着していた2025年。冒頭でも触れた通り、中央快速線のグリーン車サービス開始に伴い、特急「おうめ」「はちおうじ」は廃止となります。今まで「おうめ」が走っていた時間は今後、上りは快速に、下りは通勤快速と青梅特快に変わるようです。
確かに「おうめ」は「特急」と言うには致命的に遅くて、通勤快速や特快に置き換えてもまったく問題ないでしょう。遅すぎて青梅線内では並走する道路の原付に追い越される始末で、車体傾斜装置付きE353系の無駄遣いにも程がありました。万人のイメージするような「特急」とはかけ離れた列車でした。
でも、青梅ライナー時代からも含めて、我々多摩民の通勤の足として確かに根付いていた列車でした。決して乗車率も低くなく、それでも廃止されるということは、これからは快速にグリーン車が付いてるんだからそれを使いなさい、ということでしょう。座席や乗り心地には大差ないですし、特急よりも圧倒的に本数が多くて便利です。キャラが被っていると言われればそうなのかもしれません。
ですが、個人的にはやっぱり、「席が確保されている」というのは、普通列車グリーン車にはない重要なアドバンテージだったと思うのです。あと、座席指定もない普通列車グリーン料金の方が特急の指定席料金より高いのは釈然としない。
前置きが長くなりました。(今までの全部前置きだったのか?)
ということで今回は、ダイヤ改正直前の3月13日から14日にかけて、私にとって思い入れ深い「おうめ」の最終列車を見送りに行ってきました。所謂「葬式鉄」ってヤツですね。
特急「おうめ」の廃止により、E353系の青梅線定期入線が消滅しますが、思えばE353系を青梅線内で真面目に撮ったことがなく、最後ぐらいは撮っておかないと後悔すると思いまして。地元なのに今まで撮ったことがなかった理由は「おうめ」の時間が極端に早かったり遅かったりするからなんですけど、最後なので流石に早起きして撮りに行きました。
まずは早朝の上りおうめ2号から。

こちらは送り込み回送。撮るつもりなかったんですけど、思ったよりも早く着いたので見ることができました。

待つこと数分、「おうめ」2号がほぼ定刻通り通過。
これにて、E353系による青梅線から東京方面への営業列車は終了となりました。
構図も光線もあったもんじゃないですが、これ以上早起きしたくなかったので、近所の適当な場所で。普段は誰もこんなところで電車撮らないんですが、さすがにラストランとあって、3人ほどの同業者の姿が見えました。青梅でコレは激パですよ。
ここで撮っていたら地元の方(まあ私も地元の人間なんですけど)に話しかけられまして、「特急を撮ってるんです」と説明すると「やっぱりそうか、最後だもんね」と。なんかこう、ぐっとこみ上げてくるものがありました。
続いて夜の下りおうめ1号。
まあ正直言って私の貧弱装備じゃ夜はノイズ酷すぎて見れたもんじゃないような写真しか撮れないんですけど、将来ノイズ除去技術が進化することを信じて、とりあえず撮ってきました。
この列車については前日も下見を兼ねて撮っていますので合わせてご紹介。
グリーン車の導入に伴って河辺駅に新設された3番線ホームから撮影しました。グリーン車がなければ撮ることができなかった構図で、グリーン車がなければ引退することのなかった列車を撮影することにしたんです。
この列車には知り合いが乗っていて、窓越しに軽く挨拶。彼は東京から乗り込んで終点の青梅まで行ったようです。
最後に、本当の本当に泣いても笑っても最終列車、おうめ3号。
最後は「おうめ」「青梅行」を表示する発車標の隣で。最高のタイミングでした。
3号にも1号の時とは別の知り合いが乗っていましたが、こちらは発見することができず。
これにて特急「おうめ」、ひいては青梅線内でのE353系の営業運転は終了となりました。最後の雄姿を見届けることができたのは良かったですが、本当にこれで終わっちゃったんですねえ……。
当然、ただの途中停車駅にすぎない河辺駅ではセレモニーはおろか特別な放送も何もなく、まるでまた来週の月曜日になったら当たり前のように走って来そうな、呆気ない最終列車でした。でも、もう当面E353系がこの路線に入ることはないというのは、疑いようもない現実です。
さようなら、私の愛した「おうめ」。遅くても、本数が少なくても、人生で最も乗った特急「おうめ」は、地域のニーズに応え続けた、紛れもない「特急」でした。「おうめ」、お疲れ様。皆さんも、かつて中央線系統に「青梅」の名を冠する「特急」があったこと、どうか記憶の片隅にだけでも、覚えておいて下さい。
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最後にオマケで、今回撮ったE233系を掲載しときます。

まずは早朝のこれ。グリーン車が付いています。駅で見るよりも、こうして地元の適当な道路から見た時の方が、「本当に青梅線にグリーン車が付くんだなあ」という感覚になりましたね。”生活の中に侵入してくる感”がより強いからでしょうか。
続いて夜のこちら。

なんかLEDの表示がすごいことになってますがそんなことは知りません。こっち向きだとG車が目立たない。

青編成6連単独運用。中間に入りがちなクハのスカートがクッソ汚いのが良いですよね。201系時代からの伝統です。