1話
物語はサンリオピューロランドに遠足で来ていた保育園児たちが、謎の異空間「ゆぅろぴあ」に誘い込まれてしまうところから始まります。サンリオのコンテンツなのでピューロランドが実名で出てきます。デスゲームの舞台そのものは異空間とはいえ、あまりポジティブでない使われ方をしているのは良いの!?と、そんなこと心配するような立場ではないのに心配になってしまいます。
それにしても、最後までプレイしてから改めて1話を観ると、もう序盤から伏線だらけですね。
例えば、全員が1人あたり5枚のメダルを配られるシーン。
他の面々は当然ながら5枚配られているんですけど、ぬいぐるみを「ヒナタ」という友達だと主張するカナタだけは、ヒナタの分も含めて10枚もらってるんですね。その時のリアクションが↑の画像です。この事実は5話で明かされたんですけど、1話にもそういう描写があるんですよね。初見じゃ気付かなかった。細かいな~。
しかし、ゆぅろぴあは何故「ヒナタ」にもメダルを与えたんでしょうか。ゆぅろぴあは子供に試練を与えて失敗した子供を取り込んで画一化するための施設なわけですが、ぬいぐるみを画一化することはできません。でも、「ゆぅろぴあはヒナタを1人と認識している」旨の発言が5話でありましたし、間違いなく意図的にヒナタの分のメダルを配っているはずなんですよね。今ある情報だけでは、「メダルが10個配られたこと自体がカナタへの試練」とみるしかなさそうです。
CUTE…
私はゾーヤがきっかけでこのゲームに行き着いたもので、正直に言えば最初からゾーヤはちょっと贔屓目に見てましたね。それを抜きにしても推しですが。
ちなみに私はゾーヤ・ダイヤ・マドカあたりが推しです。ここから先の文章中では、この3名が多少優遇されている可能性があります。悪しからず。
ちなみに「ビーフストロガノフの中のポーク」を真面目に考察しようと思ったんですが、マジでわからん。絶対にまったく無意味な言葉というわけではないと思うんですが。
さて、漫画版では1日目から早々に脱落者を出していましたが、ゲーム版での1日目は脱落なしで乗り越えます。
……まあ、園児たちにトラウマを植え付けるには十分でしょうが。こえーよ。
ゆぅろぴあにいる限り、毎日夕方に1人1枚のメダルを徴収されます。
やめろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
あっいきなり大きな声を出してすみません、4話の記憶がつい。
ライオンはこの時点で既に追い詰められていたんですね。誰も悪くないのがつらい。
しっかりフラグを立てていくルミ先生。
ちょっと先の話にはなりますが、最初にこう言っていたライオンによる4話での行動のお陰で、7話で最終的に入場ゲート側から脱出することに成功したんですよね。これってそういう意図のあるセリフですよね?たまたまにしてはできすぎている気がします。
その後なんやかんやあって、ゆぅろぴあを探索することになります。
で、選択肢が出てきたということはプレイヤーの選択による分岐、と思わせておいて、実は……
どの選択肢を選んでも、岡田は選ぶことができず、プレイヤーは結局、全ての選択肢を選んでいくことになります。
こういうの、ゲームならではの演出ですよね。「この選択肢もダメ?じゃあこっち、え、こっちもダメ!?」と、複数の選択肢をローラーしていくうちに、次第にプレイヤー側まで「選択」が不安になってきて、「選択」を苦手としている岡田の気持ちを追体験できるようになっています。
間違い選択肢を選ぶとキャラクターが「……やめておこう」みたいに言い出して実質1つの正解しか選べないのって、この手のゲームあるあるだと思うんですけど、それを逆手に取った上手い演出だなあと、謎の立場から感心してしまいました。
このゲーム、全体的にこういう演出にあふれていて、それが魅力の一つになっています。
ちなみに本当に「……やめておこう」と言うこともあります。
公衆電話が「昔の電話」なの、「最近の子」って感じで良いですね。
私は岡田とほぼ同世代(2歳差)なので、私もこれです。私の小さい頃は携帯電話を持っていない人もギリギリ残っている時代でした。
カナタって母親のこと「ママ」呼びなの?かわいいな
5話とか見てから改めてこれ見ると、もうね……
これ何だったんでしょうね。いかにも何か裏設定がありそうですが、ゲームや漫画では回収されませんでしたよね。既に他界しているのにカエルコールで話せたのも謎ですし。単なるホラー的な演出なんでしょうか。そうとは思えないけどなあ。
そもそもカエルコールで話せる相手は本物の親なんですかね?もし違うとしたら、偽物の親との通話料でメダル消費して脱落したダイゴロウが可哀想すぎるけど、まいごえんならやりかねない。
やっぱり「ママ」呼びなのかわいいな。
好感度MAXで見られるハヤテの貴重なデレシーン。
ハヤテは一見すると1人でいるのが好きで人を避けているようにも見えますが、実は周りをよく見ています。むしろ自分も含めた周囲を俯瞰できすぎてしまうが故に、自分のせいで人を傷つけてしまうことまで分かってしまうんだと思います。だから誰も傷つかないように自分は身を引いている。ちょっと先の話ではありますが、3話でも自分のせいでユズリハが脱落したことをきっかけに本格的な単独行動を始めることになりましたしね。本当に園児か?
追い詰められたルミ先生が自分に言い聞かせるように話した言葉が、最終話の岡田が立ち直るための一押しになってるのアツいですよね。
まあ当のルミ先生はこの後すぐこうなって最後までこの状態のままでしたが……
ルミ先生妊娠説にこの頃から気付いていた人すごいですよね。自分は最終話のルミ先生からの手紙まで全く可能性にすら思い至りませんでした。
ヒカルマリアの関係性って、すっげえ複雑っていうかクソデカ感情なんで、ユズリハに理解できないのも当然と言えば当然でしょう。というかこいつら本当に園児か……?
ただ私は、我々が「本当に園児か……?」となるところまで含めて、制作側の意図だとも思ってます。そもそもまいまいまいごえんは「多様性を肯定し受け入れる物語」です。読者が「多様性を肯定し受け入れる物語」に共感するためには、ある程度読者側も「多様性を肯定し受け入れる」準備が整っている必要があります。そこで、この物語に共感するための下地づくりとして、私たちが想像するような園児像からかけ離れたキャラクターを敢えて登場させ、多様性をより強く印象付けるとともに、読者側も無意識のうちに理想像を押し付けていたことに気付かせる、そんな狙いがあるんじゃないかと。考えすぎでしょうか?
この後は、「キラキララビリンス」というアトラクションに挑戦することになります。
ついてくるのかわいいね
嗚呼……
ジュラル星人に違いない
鏡の中には本当の自分がいるはずなのに、岡田が見ると鏡には何も映らない。改めて見ると、1話では岡田に「本当の自分がない」ことが随分強調されていますね。1話後半で自分と向き合うことになるヒカルとの対比でしょうか。
ここのスタンプがヤギさんとオオカミなのも、最初は特に気にしていませんでしたけど、最終話までやってから見るとアーーーとなりますね。
「ぼ」……。シンタ曇らせの布石が丁寧丁寧丁寧に敷かれていくの怖い
ハヤテが「黙れよぉ!!」って言ってるのかわいいね
ライオン、虹の順番突破してるの凄すぎる。園児の頃の俺はわかんなかったです。
キララビで園児たちが見たものについては、漫画版の方がより具体的に描かれていましたね。ライオンの見たネズミの中にライムの声までいたの残酷すぎる。
ちなみにカナタは先にキラキララビリンスを抜けていました。
この時のカナタ、クリアしたフリをしているだけで、実はキラキララビリンスをクリアしていなかったことが5話で明かされますけど、鏡のヒナタに何を言われたんでしょうね。鏡のヒナタと話し込んでしまった……?とも考えましたけど、他の3人には精神攻撃でしたので、順当に考えてカナタにも精神攻撃があったと考えるのが妥当でしょう。この時点のカナタが嫌がることとなると「”それ”は本当のヒナタじゃないぞ!」とか「ぬいぐるみと喋って楽しいカ?」的なことでしょうか。
いずれにせよ、キラキララビリンスへの挑戦は全員時間切れで帰還することに。
休憩所に戻ると、キララビ不参加組が岡田に黙って第二探検隊を結成したことでひと悶着起こります。
お手本のようなツンデレ。俺はこのシーン見るまでユズリハのこと普通にワガママなだけだと思ってました。読解力園児未満です。
さて、マリアが一人で「たそがれ横丁」というアトラクションに参加してしまったことを発端に、物語はみんなでたそがれ横丁を攻略する流れに。
このカナタ、やってることマジで最悪だけど子供ってこんな感じよな。かわいい。
俺カナタ好きかもしれん
転んでるドット絵かわいい
かわいいとか呑気なこと言ってごめん……リンリンはえらいね……
「ケガする人」が苦手なのに、ちゃんと気にしてくれるの、優しいですよね。まあ「苦手」って言葉にもいろいろなニュアンスがありますもんね。
さて、それではいよいよたそがれ横丁に入ります。
たそがれ横丁でも、園児への精神攻撃が続きます。テレビではヒカルとマリアのおままごとの様子が映し出されます。母親のいないマリアと、父親のいないヒカルでは話が噛み合わず……
いや、申し訳ないけどここ笑ってしまった。趣味が悪すぎる。
次のテレビでは、父の日のイラストで何を描いていいかわからず教室を抜け出してしまうヒカルの様子が映し出されます。
しかしマリアはヒカルのことを追いかけて来てくれます。岡田は何してたんだ?
優しすぎる。ちなみに「ひーちゃんぱぱ」の絵はイラストレーターがそれっぽく描いたものではなく、リアル園児が描いたものらしいですね。
うんうん、これに関してはマジで岡田が悪いね。
「たそがれ横丁」参加中はずっと手を繋いでいなければならないのに、うっかり手を放してしまったヒカル。その代償として、影が「本当の自分」として分離します。
なお、ヒカルと手を繋いでいた岡田には影がありませんでした。本当の自分と向き合うことになるヒカルと、本当の自分を忘れてしまっている岡田の対比なんでしょうね。
普通に結婚したらいいと思う
マリアは、カエルタマゴに騙されていたのではなく、自分の意志でアトラクションに参加したうえ、騙そうとしてきたカエルタマゴからメダルを貰っていた模様。恐ろしい子……!
こんな強いマリアですが、ヒカルは、マリアのことを弱くて守られているべき存在だと決めつけていました。影という形でそれが露呈してしまったわけですが……
ヒカルはちゃんとそんな自分と向き合い、改めてマリアとも向き合い直しました。
あっ、おれ泣きそう。さっきの父の日の回想シーンと同じ構図のスチルが泣かせます。
さすがに多すぎて全部はスクショ貼れないけど、いい子達だ……
切迫したシーンなのに、どうしてもこのドット絵がかわいくて、かわいいね……となってしまう
ヤバい、泣いてしまう
影マリア、つまりマリアの「本当の自分」なわけですが、ヒカルとは対照的に、マリア本体と言ってることあんまり変わらないのが良いですね。
あと、影マリアの最後の台詞は最終話で重要なヤツですね。泣きそう
本当に強い子達ですよ。泣きそう
なお
目の前でこんなん見せられたらPTSDなるって。
展開が漫画とだいぶ違ったので、途中まではダイゴロウ生存ルートかと思ったんですけど、結局漫画でもゲームでも最初の犠牲者はダイゴロウでした。ダイゴロウは多分どの世界線でもカエルコールを使ってしまうのでしょう。
たそがれ横丁からの凱旋の際、最初に声をかけてくれたのがダイゴロウだったのも作為を感じます。
これで第1話は終わりです。こうして2周目以降にプレイすると、最初のうちからかなり伏線が詰め込まれていることがわかりますね。本当に良くできたストーリーだなと思います。オタクは伏線回収が好きなので。
スタッフロールで流れるカーニバルハッピーも良いですね。まあ曲については別の機会にでも改めて語ります。
投稿者: Kasumi
東京都青梅市在住。鉄道マニア。 Kasumi のすべての投稿を表示